Takecの本ブログ

好きな本について。毎月『きっかけ読書会』を主宰。

幸福論三つ目

ラッセル『幸福論』 (100分 de 名著)   小川 仁志NHK出版
 

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三大幸福論と言われる、アラン、ヒルティ、ラッセル。
アランとヒルティは読んだことありますが、ラッセルはまだだったので読んでみました。
哲学をやさしく一般の人に教えてくれる小川仁志さんの解説で、信頼度が高いですね。
 
なかでも
・興味をできる限り幅広く持つ
・興味を引く人や物に対する反応を友好的なものにする
・不幸の原因分析と対処法
・中庸とバランス
・相互の愛情
・努力とあきらめのバランス
 
など
響くポイントがいくつもありました。
 
興味をできる限り幅広く持つ
人に対する反応を友好的なものにする
 
やっていきたいと思います。
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「幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そしてあなたの興味を引く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」
 
実際、ラッセルは自分が幸福になれた理由として、次の三点を挙げています。
 
①「自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得したこと」
②「望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまったこと」
③「自分の欠点に無関心になることを学」び、「だんだん注意を外界の事物に集中するようになった」こと
 
自らの行動によって能動的に幸福を獲得していこうというラッセ
 
不幸の原因の分析
 
不幸の最大の要因
・自己没頭
・罪びと
・ナルシスと
・誇大妄想狂
 
罪びとは罪の意識にとりつかれた人
ナルシスとは、自分自身を賛美し、人からもさんびされたいと願う習慣を持つこと
 
バイロン風の不幸
②競争
③退屈と興奮
④疲れ
⑤妬み
⑥罪の意識
⑦被害妄想
⑧世評に対するおびえ
 
幸福を招きよせるためには、思考のコントロールが必要
 
バイロン風の不幸
そんな気分から脱出しえたのは、何かの哲学によっててはなく、どうしても行動をおこさなければならない必要に迫られたからであった。
 
競争
競争は絶えず加速される
健康を害する
バランスのとれた人生の理想の中に、健全で、しずかな楽しみの果たす役割を認めることにある
 
退屈を楽しむ。退屈を味わう。
 
宇宙と比べて悩みを相対化する。
 
 
ねたみに対する処方箋は、比較をやめるということ
 
被害妄想の処方箋
あなた自身の美点を過大評価してはいけない。
 
自分の環境とどうもしっくりいかないと思う若い人たちは、職業を選択するにあたっては、可能な場合はいつでも、気心のあった仲間たちが得られるチャンスのある仕事を選ぶように努めなければならない。
 
その人の価値観が受け入れられるような別の集団に移し変えられれば、その人の性格ががらりと変わる
 
人の意見を尊重しすぎていると幸福にはなれない
 
一段と寛容になれ
 
理性の力で幸福になる
 
何かに熱中できると幸せになれる
 
困難だけれど実現不可能ではないと思われる目的を追求できると幸福だ
 
熱意にもバランスが必要
 
熱意は外に対して向けなければならない
 
自分の内面だけを見ていても、決してしあわせにはなれない
 
古代人は、中庸をもって根本的な美徳のひとつとみなしていたと述べ、熱意をもってさまざまな活動をするにしても
活動間のバランスが大事だと釘を刺します。
 
健康
人並みの能力
必需品が買えるだけの収入
妻子への義務
この四つの枠から外れるとバランスが崩れる
 
愛情が自信をもたらし、自身が安心感を抱かせる。そうした精神の習慣が源となって、熱意が生まれそれによって人は幸福になるという理屈です。
 
幸福になるためには最上のタイプの愛情が必要
相互に生命を与えあうもの
ひとつの幸福を共有する結合体だと感じる愛情
つまり、愛情を与え、おなじだけ受け取る相互的な関係ということです。
 
仕事自体をおもしろくすることによって幸福になるという方法もある
 
 
人生の目的と仕事が一致することの重要性
 
趣味を持つことがバランスにつながる
 
努力とあきらめのバランスが重要
 
たとえあきらめたとしても、それが希望に根ざしていればよい。その希望とは、非個人的なものを追求することではじめて不屈になる
 
幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人々の興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみ取る人である
 
客観的な生き方とは、自己没頭をやめ、主観にとらわれることなく外に興味を向けた生き方のことを指すと考えられます。
 
 
客観的に生きるとは、他人の興味に自分を合わせるのではなく、自分の中に自然と湧き上がってきた「本当にやりたいこと」「本当に知りたいこと」に興味を持ち、それに従って生きるということにほかなりません。その意味では、趣味は探すものではなくて、好きなことが高じて趣味になるのでしょう。